知り合いから案内をもらったので、のぞきに行く。
中山はいつも通過するのだが、駅で降りたことがない。
だいたい競馬場があるくらいしか知らなかったので、今日も、案の定、最初は間違えて、東中山で降りてしまった。(競馬場は、東中山)

京成の中山駅を降りると、いきなり参道に出る。
ここは、門前町だということを、初めて認識。

考えてみれば、市川という場所は、真間の手児奈の万葉の時代からの古い町だった。古戦場もあるし。

でここにあるのは、日蓮開闢の総本山、法華経寺。鎌倉時代からあるらしい。ただ、今日の目的は、その少し手前にある、遠寿院(おんじゅいん)で開かれてるコンサート。遠寿院自体は、修行用に1592年、というから豊臣秀吉の時代くらいに作られたとのこと。

行くといきなり、お堂の中で、ペルー人がサルサコンサートをやってた(笑)。お堂でサルサもなんだかなぁ、な感じだが、その後の演奏の雅楽の龍笛の説明の中で、そもそも、聖徳太子の時代に、すでに客集めのため、お堂でインド音楽を奏でてたらしい。

その時代のインド音楽なら、今のサルサと変わらんだろう。客集めに渡来音楽を演奏するのは由緒正しき作法なわけだ。

ここのご本尊からして、鬼子母神だ。
この間、東遊記の話で少し触れた南遊記が、そもそも鬼子母神の子どもが、殺生の罪を犯した母親を訪ねて、地獄から救う話だったりするんだが、このあたりの神様の系譜はひっちゃかめっちゃかだ。

法華経寺の説明によると、日蓮聖人が、鬼子母神に救われたから、本尊になってるらしい。いずれにせよ、インド渡来の神様が中国でブレンドされて、日本の民間信仰に入ってたりするわけだが、明らかに、鬼子母神信仰の方が、日蓮よりは古いので、うまく利用したのだろう。

鬼子母神自体も、調べると奥が深そうだが、この寺にあるのは、憤怒の形相のもので、雑司ヶ谷や入谷の穏やかな菩薩顔のものとは異なる。一応、修行僧の守り神だからということらしい。

今、調べていて分かったのだが、なんせ古いのは、雑司ヶ谷のものらしい。

それと、「恐れ入谷の鬼子母神」の対は「びっくり下谷の広徳寺」
だそうだ。

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