朝、5時半頃起きる。
さわやかな朝なんで、朝7時頃から散歩に出かける。
家を出て、ものの5分もしないうちに、日射しが強くなりだし、干潟一回りして(約3.6km)、家に帰り着いた8時頃は、ピーカンだった。
この時間は、ペットの散歩が多い。犬には咬まれるので、ちょっと迷惑。ペットを飼っている知り合いも多いが、せいぜい15〜16年しか生きないものなので、自分が愛する者が、目の前で亡くなっていくことなどには、とうてい堪えられないから、なぜ飼えるのか、実は理解できなかった。僕は、飼っていた小鳥が死んでしまっていたことを知った次の日は、会社を無断欠勤したくらいだ。それ以来、動物は飼っていない。
ただ、年を経ってきて、たくさんの人の死に向き合うようになって、死ぬことをたんたんと受け止められるようになってきた。自分より若い人の死は、もうあまりみたくないが、例え両親でも、ひどい死に方をするのでなければ、日常として受け止めるのではないかと思う。今なら、ペットがいても、その死を受け止められるかもしれない。
ペットと人の死を一緒にしている感覚が、たぶん、ペットを飼っている人との感覚と、すでにずれているのかもしれない。どちらにしろ僕にとっては、愛玩動物の感覚はないし、自然の中で、動物が一緒に生きていて、知らないところで、死んでいってくれる方がいい。
小学校の頃、理科の実験で、ひよこになる直前の卵を割って、中を確認するというものがあった。先生が、やすりで、少し傷をつけた時点で、これ以上続けるか?とみんなに尋ねた。他の生徒は、同情してこれ以上続けないように言った。僕ひとりだけ、傷つけてしまった卵はもう戻らないから、早く、開いてしまった方がいいと言って、みんなから非難を浴びた。それくらい、感覚がずれてるらしい。
イギリスの話だったと思うが、子どもが生まれたときに、子犬を買い与えるという話がある。遊び相手から、成長の早い犬が、子どもの世話をし、やがて、友となり、思春期を終える頃、その死を迎え、命の尊さを学ぶそうだ。
今の日本で、変な服を着せたりして、動物を、単なるおもちゃとしか思っていないような、おばさま方とは無縁の話だ。
さわやかな朝なんで、朝7時頃から散歩に出かける。
家を出て、ものの5分もしないうちに、日射しが強くなりだし、干潟一回りして(約3.6km)、家に帰り着いた8時頃は、ピーカンだった。
この時間は、ペットの散歩が多い。犬には咬まれるので、ちょっと迷惑。ペットを飼っている知り合いも多いが、せいぜい15〜16年しか生きないものなので、自分が愛する者が、目の前で亡くなっていくことなどには、とうてい堪えられないから、なぜ飼えるのか、実は理解できなかった。僕は、飼っていた小鳥が死んでしまっていたことを知った次の日は、会社を無断欠勤したくらいだ。それ以来、動物は飼っていない。
ただ、年を経ってきて、たくさんの人の死に向き合うようになって、死ぬことをたんたんと受け止められるようになってきた。自分より若い人の死は、もうあまりみたくないが、例え両親でも、ひどい死に方をするのでなければ、日常として受け止めるのではないかと思う。今なら、ペットがいても、その死を受け止められるかもしれない。
ペットと人の死を一緒にしている感覚が、たぶん、ペットを飼っている人との感覚と、すでにずれているのかもしれない。どちらにしろ僕にとっては、愛玩動物の感覚はないし、自然の中で、動物が一緒に生きていて、知らないところで、死んでいってくれる方がいい。
小学校の頃、理科の実験で、ひよこになる直前の卵を割って、中を確認するというものがあった。先生が、やすりで、少し傷をつけた時点で、これ以上続けるか?とみんなに尋ねた。他の生徒は、同情してこれ以上続けないように言った。僕ひとりだけ、傷つけてしまった卵はもう戻らないから、早く、開いてしまった方がいいと言って、みんなから非難を浴びた。それくらい、感覚がずれてるらしい。
イギリスの話だったと思うが、子どもが生まれたときに、子犬を買い与えるという話がある。遊び相手から、成長の早い犬が、子どもの世話をし、やがて、友となり、思春期を終える頃、その死を迎え、命の尊さを学ぶそうだ。
今の日本で、変な服を着せたりして、動物を、単なるおもちゃとしか思っていないような、おばさま方とは無縁の話だ。
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