昨日は荘子を読んでいたが、自然と一体となって生きるのが、人間の本来の姿であるとすれば、現在の生き方は、理にかなっていない。

「人類は滅亡すべき」という思想自体は、それ自体は犯罪ではない。ただし、滅亡すべきかどうかは神のみぞ知るで、人知の及ぶところかどうか、依然、判然としない。

その滅亡を一個人・一団体が画策した。その裁判のニュースが流れる。

僕は、地下鉄の事件の起こる2週間ほど前に、熊本に転勤になった。そのため、当時の東京の様子は知らないのだが、新宿近辺に住んでいた知人によると、浄水場に毒を入れられるという噂が流れ、水を買いあさったとか、歌舞伎町から人が消えたとか言うことがあったそうだ。

5年ほど前、一緒に仕事をした女性は、丁度、卒業式の日で、遅刻したため、事件の一本後の電車に乗っていた。同級生が被害にあった。当時、まだ、精神的に不安定になると言っていた。

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日記サイトを読み歩いてると、死にたがってる人の多いことに驚く。
死にたいというよりは、生きているのが、面倒くさいが近いように思う。
僕は、ただただ、お年寄りを尊敬するのみ。みな、そのめんどくささを乗り越えてきたから。

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犯罪のない世界はどうしたら作れるか。
簡単に実現できる。
罪を無くせばいい。罪がなければ、それを犯す犯罪もなくなる。

人を殺しても、物を盗んでも、罪にはならない。世の中強盗だらけだ。
ただし、物を盗んだ人間をその場で撃ち殺しても犯罪にならない。復讐もし放題だ。西部劇の世界は、こんなものかもしれない。自警団もできるだろう。隣近所とコミニュケーションを取らなければ、きっと、生き残れない。

さて、罪のない世界では、現在より、犯罪に値する物が増えるのだろうか。

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